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東京地方裁判所 平成5年(ワ)17908号 判決

原告 折山敏夫

被告 国

代理人 新堀敏彦 岩崎輝弥

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年八月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  請求の要旨

原告は、原告を刑事被告人とする殺人等刑事被告事件(以下「本件刑事被告事件」という)の捜査及び公判の過程で、検察官が証拠物をねつ造した上、これを原告に提示し、かつ、証拠として裁判所に提出することにより、原告を長期間にわたって錯覚に陥れたと主張して、同事件の上告審係属中に、国家賠償として慰謝料を請求した。

二  争点

刑事被告人は、その刑事被告事件係属中に、その捜査段階及び公判段階での検察官による証拠ねつ造という不法行為を理由として、国家賠償を請求することができるか。

1  原告の主張

刑事被告人がその刑事被告事件の捜査段階及び公判段階における検察官の不法行為によって被る精神的な苦痛は、仮に刑事被告事件において犯罪事実が存在すると認定されたとしても、到底甘受しうるものではないから、この検察官の不法行為は、刑事被告事件の帰すうとは無関係に、独立して国家賠償請求の対象となる。

殊に、本件刑事被告事件においては、原告が検察官の不法行為を知ったのは上告審係属後であり、その刑事訴訟手続の中では既にこの不法行為の違法性を争うことはできないのであるから、原告は国家賠償を請求することができるというべきである。

2  被告の主張

原告の主張は、要するに、検察官が証拠をねつ造して公訴を提起し、かつ、公訴を遂行したというものであるところ、その違法性の審理は、事柄の性質上、刑事訴訟手続の主題である犯罪事実の存否自体の審理と重複するから、刑事訴訟手続の係属中にこれを審理するためには、結局、犯罪事実の存否そのものを刑事訴訟手続に先んじて審理、判断せざるをえないことになる。

しかし、犯罪事実の存否に関する判断又はこれを前提とする行為の違法性の判断については、少なくとも刑事訴訟手続の進行中は同手続における審理が先行すると解するほかはなく、同手続が完結する以前に、民事訴訟手続において別途これらを判断することは、現行法制度のもとでは許されていない。

第三争点に対する判断

一  原告の主張によれば、検察官がねつ造したという証拠物は、発見された死体と本件刑事被告事件における被害者とが同一人物であることを証明する歯牙のレントゲン写真だというのであるから、それがねつ造されたものであるとすれば、そのことが同事件における犯罪事実の存否の認定及び刑罰権の実現そのものに影響を及ぼすことは明らかである。

したがって、本件において証拠物のねつ造の有無を審理することは、刑事訴訟手続において審理される犯罪事実の存否について重ねて審理することにほかならない。

二  ところで、刑事訴訟手続は、犯罪事実の存否を明らかにして刑罰権を実現することを目的とするものであり、その審理のために、公判段階では一連の厳格な手続、証拠法則(伝聞法則、自白法則等)が定められ、かつ、犯罪事実の証明については検察官に合理的な疑いを容れない程度までに重い立証責任が課せられているのに対し、民事訴訟手続は、権利侵害による損害の事後的な填補を目的とするものであり、その審理のために厳格な手続も証拠法則も定められておらず、弁論主義が支配し、かつ、証明についても事実であることにつき高度の蓋然性があることをもって足りるとされている。

のみならず、刑事訴訟手続上、無罪判決が確定した者が未決の抑留又は拘禁を受けた場合には、国に対して抑留又は拘禁による補償を請求することができるものとされており、また、再審等の手続において無罪の裁判を受けた者が原判決によって既に刑の執行を受けた場合等には、その者は国に対して刑の執行又は拘置による補償を請求することができるとされていること(刑事補償法一条一項、二項)、さらに、検察官は、被疑者として抑留又は拘禁を受けた者につき公訴を提起しない処分があった場合において、その者が罪を犯さなかったと認めるに足りる十分な事由があるときは、抑留又は拘禁による補償をすることとされていること(被疑者補償規程(昭和三二年法務省訓令第一号)一条ないし三条)に照らすと、現行法制度のもとでは、誤って犯罪の嫌疑を受けた者の損失については、事後的に補償することが予定されているものということができる。

三  このような現行法制度の構造に照らすと、犯罪事実の存否の認定及び刑罰権の実現に影響を及ぼす事由については、まずもって刑事訴訟手続において審理することが予定されており、誤って嫌疑を受けた者の損失及び前記の補償では賄いきれない精神的な損害等については、刑事訴訟手続が判決等により完結した後に、民事訴訟手続において填補することが予定されているというべきであるから、刑事被告人は、その刑事被告事件の係属中には、その捜査段階及び公判段階での検察官による証拠ねつ造など犯罪事実の存否の認定及び刑罰権の実現に影響を及ぼす事由にかかる不法行為を理由として、国家賠償を請求することはできないといわなければならない。

そうすると、刑事被告事件が上告審に係属中である本件においては、検察官の証拠ねつ造を前提に国家賠償を求めることは許されず、原告の請求は理由がない。

なお、原告は、本件刑事被告事件において原告が検察官の不法行為を知ったのは上告審係属後であったから、その刑事訴訟手続の中では既にこの検察官の不法行為の違法性を争うことはできないと主張するが、上告裁判所は、判決に影響を及ぼすべき法令の違反あるいは判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認等があり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認めるときは、原判決を破棄することができるから(刑事訴訟法四一一条)、この主張は採用することができない。

(裁判官 片山良廣 吉川愼一 絹川泰毅)

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